良い子

加害少女は”虐待”を受けていたのではないか。勉強をはじめ各種の習い事を勧め、学ばせるなどは典型的な親の”愛”の発露と見られている。子供もそれを喜ぶ、とされているし実際喜んで受け入れる子も多いのは、それを親が喜ぶからに過ぎない。親の”愛”の名によるこの種の虐待はごく幼少期に始まり子供もそれを”愛”として受け入れて育つところが複雑だ。そこには強制はいっさいない代わりに綿密な誘導がある。

 

兄にも同じ愛が注がれたに違いない。それを見ながら妹はより早く順応しようとする。娘が不相応な背伸びをしているのを親は早熟だと喜び”愛”は絶え間なく注がれた。子供の生活は分単位で管理され、子供同士の自然な交流は制約される。

 

「お父さんを尊敬しています」と”整然と”語る加害少女には親をかばう被虐待児の姿がどうしても重なる。

 

両親が高学歴高収入だったために、”愛”はより綿密に大量に注がれた。理由のない純粋な殺害衝動が15歳まで矯正されずに残ったことと、この早期からの"虐待"には関係がある。ひとつはもちろん被虐待児の抗議・逃避行動として。もうひとつは問題行動を隠蔽するためにもこの”愛”が働き、問題行動を容認するサインを送ったことだ。子供は、勉強さえできれば他のことは構わないと刷り込まれた可能性が高い。

 

弁護人は加害少女に本を差し入れたという。父を尊敬し勉強の好きな「良い子」を父親は愛してくれる。型通りの優等生の姿勢以外を少女はとったことがないかのようだ。

 

幸運にも事件を起こさず成人したとしても、少女が本当の自分の生を生きるにはさらに多くの試練と幸運が必要だったかもしれない。それでも出発できないよりは遥かによかったのだが。。