衝動、計画

バット事件も「殺すつもりだった」、母親も「殺そうとしたが思いとどまった」と義母に事件の3日前に語ったとの報道。

 

義母との関係は良い。「新しいお母さんが来て嬉しかった」は弁護人の作為ではなく本音だった。この義母が新たな”弁護人”のようだが。

 

「思いとどまった」

自覚があり、自分で避けることができた。気がついたらやってしまっていた、のではなく、自分に「人を殺したくなる」時があることを知っており、殺さない方を選んでいる。

 

が、父親にはやってしまった。おそらく衝動的に。「動機も理由も不明」(父親)のまま少女の妄想はやがて消滅したらしく、数週間後にはすまなさそうな”僕”が同級生や親の前で”別れ”の言葉を述べている。

 

誰にも邪魔されない「独り暮らし」は殺人にくわえて人間解剖の欲望を育てた。精神科に通いながら妄想が膨らむのが自覚されただろう。かつて「思いとどまり」、バット事件以後”反省”モードにあった少女が、この妄想の誘惑と戦わなかっただろうか?

 

短期間に診断が出たのは、少女が治療に”協力的”だったからだろう。バット事件以後の少女は自分の性向を自覚している上に、以前と違ってそのことを隠していない、どころかすらすらと答えている

 

同時に殺意は計画性を伴うようになる。診察で自己を振り返った影響ではっきり目標が見えてきたのではないか。

 

家に誘える友人は被害者だけだった。もちろん被害者には「人を殺したくなる」などと話したことはない。聞いていたら部屋に上がりはしない。一番の友だちにも告げていないのだから、精神科医が把握するまで他の誰にも告げていない。

 

3日前に義母に告げた時には一方ですでに被害者と会う約束を取り付け、ハンマーなどを順次入手していた。「人を殺したくなる」と告げながらも、今まさにやろうとしているとまでは明かさなかった。少女の殆どを支配した妄想によって禁止されたと見られる。少女にはそれがSOSの限界だった。