トロフィー

生前は母親が娘を一手に引き受けていた、しかし自分も忙しい父親にはその方が好都合だった。事件後の父親の対応は、事件以前から父と娘の間に精神的な亀裂があったことを想像させる。

 

加害少女からは逮捕2日目に「お父さんを尊敬しています」という一連の発言があった。世間はこれを父親の詐術だと疑ったが、そうだろうか?

 

その後再婚相手(継母)に娘が殺人願望を明かしていたことが分かった。娘が精神科医以外に告げたのは初めてだった。これだけで「再婚を歓迎」したと言い切れないかもしれないが、継母との関係は非常に悪いわけではない。「新しいお母さんが来て嬉しかった」は嘘ではない。

 

「尊敬」云々は、父親にはわかっていたことだった。娘がこれ以外の態度を見せたことがないのを経験で知っていた。だからわざわざ代理人を派遣して娘の口から言わせることにした。

 

バット事件は3月2日、3月18日の中学の卒業式には父親も出席した。その後のスピーチで娘は、留学することを明かしクラスメートに感謝の言葉を述べた。

 

「一つだけお願いがあって、こんな僕ですけど僕のことを思い出して、僕は何やってるかわかんないですけど、 砂漠歩いてシマウマにのっているかもしれないけど、その辺のことを思ってくれたらな、と思います」

 

またその場にいた父親に対しても、涙声で

「こんな僕ですけど、育ててくれて大変ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」

と語って締めくくったと伝えられている。

 

繰り返される「こんな僕」という表現には反省からくる自己否定感情がこもっている。クラスメートには通じなかったかも知れないが、父親にはもちろんその理由は分かっていた。このときの娘の「反省」と逮捕後の「お父さんを尊敬しています」には矛盾はない。

 

おそらくバット事件の前に書かれたと思われる卒業文集には、つぎのように書いていた。

 

「僕が人生で本当のことを言えるのは、これから何度あるだろうか。
人生で、涙ぐむほど美しいものを見ることは、悲しみに声を枯らすことは、 お別れのあいさつを書くことは、好きな人と手をつなぐことは?
数えたら、きっと拍子抜けするだろう。
いま人生を始めたばかりの薄い肩に、どこまでも水平線が広がっている。 あまりにも短い航海の間、僕は何度心から生を叫べるか、正の字をつけて数えておこう。
この人生の幕引きに笑ってお辞儀ができたなら、僕はきっと幸せです」

 

砂漠とシマウマ、水平線と航海、、卒業時のスピーチとこの文章は同じような心境にある。一方には反省がこめられているとはいえ、バット事件の前後で娘の心は一貫している。文集の方では「短い航海」や「人生の幕引き」まで想像し「心から生を叫ぶ」ことや「幸せ」の困難さを予感している。しかもここで娘はたった一人で自分を見つめている。

 

ここで娘が「数えて」いるのは手に入れられなかったもの、失ったものだ。成績はつねにトップクラス、スケート大会で優勝、絵画で受賞、ピアノで入賞と、数々の「トロフィー」も娘に幸せで希望あふれる未来をイメージさせることはできなかった。「本当のことを言えない」、心から喜んだり悲しんだりすることができない、その原因はやみくもな「トロフィー」獲得にあったかもしれないし、自分の特殊な性向によるものかもしれない。それは娘にもはっきり区別することはできなかっただろう。

 

同時期に受賞した自画像には自分の心の奥底を覗きこむような執拗な視線がある。この自画像は娘にとって真実ではあったが「涙ぐむほど美しい」ものではない。しかしそれは「受賞」してしまい、またひとつトロフィーが増えた。

 

母親の死後は、父親は自分の再婚ともからんで娘を「軟着陸」させることを考えた。以前からあった留学の話が具体化し、祖母の籍に移し、バット事件後は精神科に通院させながらマンションで一人暮らしをさせた。「軟着陸」が結局「子捨て」になってしまったのは、もともとあった父親と娘の距離からみて必然だったが、父親の計画的故意であったかどうかは分からない。

 

父が発案したにしても娘も、互いに離れて暮らすことに合意したのだろう。おそらく殆どの場合、両親の発案を娘が拒否したことはなかったのではないか。家庭内で「良い子」でいることは、逆に親の干渉を防ぐ意味で必要だった。だからこの環境の中では親に「心から同意した」か「内心抵抗があった」かは娘本人にも分からなかっただろう。

 

5歳年上の兄にも同じように「教育」したことだろう。娘はそれを見ながら成長した。実年齢よりも背伸びをした状態が幼いころからあったが両親はそれを早熟の才能とみなして、さらに伸ばそうとした。結果として本人には未熟な自尊心、全能感を与え、学校やクラスでは「浮いた」存在になって行く。

 

このことに娘が気づいたのが給食事件だった。両親はじめ周囲はこれが幼い殺意であることを認めたくなかったので、うやむやにした。しかし娘は自分の「全能感」は親が支えていて、親のシナリオに従っている限りにおいて許されているだけだ、ということを理解しはじめた。

 

母親は教育委員の職にあり学校や教員を監督指導する立場だったから、表向き「平謝り」したとはいえ、娘と自分に有利な解決に持ち込むことができた。その後家庭内で娘にどう対応したかは分からないが、親の影響力によって左右される学校や教育の現実を娘が肌で感じなかったはずがない。親をも見切った子供が、親に左右される学校や先生を信じられるとは思えない。こうして給食事件は娘にとって大きな「教育」となった。

 

自分の「トロフィー」は実は親の「トロフィー」ではないか?早熟な子はそれだけ早く気づくものだ。自分でも大きな「トロフィー」を獲得してきた母親は娘の疑念や反抗を理解しつつ上手に回避したようだが、父親はそこまで丁寧ではなかった。トロフィーの獲得は父親にとっては人生において重要なモチベーションであり信念になっていたから、表向き「従順な」娘が内心ではそれを疑い、抵抗している可能性を考えることはできなかった。娘が英語弁論大会で父親を「エイリアン」に喩えたことの背景もここにある。

 

娘はピアノとスケートを父親と共にした。母親はスケート連盟の会長になり、毎年一家で県大会や国体に出場した。今年1月にも国体に出場しているが、出場は最初から決定しているという毎年恒例の行事だった。しかしこの時には父娘の間に口論があり一種目を棄権したと伝えられている。娘にとってトロフィーはもう価値を持たなかったのだろう。

 

たしかに娘はある種の「幼児性」を矯正されないまま成長した。卒業文集の背伸びした表現の裏には、誰にも頼ることができなくなって途方に暮れる幼い感情がある。しかし、競争相手のいない種目で優勝することも一種の「幼児性」の現れではないだろうか。娘がそう気づいた時が「エイリアン」の始まりだったろう。何の価値もないものを大事にする父親はこの時点で、おそらくは学校の先生たちと同様に、「尊敬する」以上でも以下でもないただの無関係な「大人」になった。

 

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娘の「殺したい」願望は、それを持っていない圧倒的多数の人には理解できない。一方で娘の発言からは「生きる」実感のなさと、実感のないまま生きていく未来への絶望に近い不安が読み取れる。今は「心から生を叫ぶ」ため、「生きている」感覚をもちたいために「殺す」ということが究極的にはあり得るのではないか、と考えるしかない。