弁護人、精神科医

父親が選任した弁護人が加害少女は父親を尊敬しており新しい母とも仲が良かったと本人の言として伝えた。

・・・虐待を受けた子供はしばしばかえって親をかばう、というのを思い出した。

 

しかし世間の親は自分の地位や子供の才能を伸ばすことに無関心でない限りにおいて加害少女の両親の同類か理解者だから、彼女の成育過程は虐待にはあたらないと見ている。それに反比例して彼女が不可解なモンスターにされてゆく。

 

6月に加害少女を診察した精神科医が児童相談所に「人を殺しかねない」と通報したが児相は動かず結果的に事件を防げなかった。

 

・・・少女は誰と一緒に精神科に行ったのか。

親が連れて行ったのなら、通報するぐらいだから医師はその場で親に強く治療を勧めたに違いない。

一人で行ったなら本人に病気の自覚があり診断・治療を望んでいたことになる。それでも親の保険に入っているのだし、バット事件のことも承知している精神科医がこんな重大なことを親に伝え、治療を促さなかったとは考えられない。

 

加害少女は病気の他覚自覚があって受診し危険な状態と診断されたのにもかかわらず、その後も治療を受けられないまま別居状態で放置され事件に至った。このとき父親が治療を決断していれば彼女は友人を殺さずにすんだ。児相が動いていたら、はその次。

 

そして、嫌な予感として

父親の選任した弁護人は決してこの方向で彼女を弁護しないだろう。

すべての責任を加害少女の精神に負わせた上で緩刑を望むという弁護作戦は、事件の特異性よりも彼女以外の関係者(親、学校、行政、教育)全員にとって有利なだけに採用されやすい。

 

名目は何であれ彼女の交通を制限することに社会は同意するだろうが、それは彼女にすべての責任があることを意味しないことも確か。