幼児

両親は娘が猫を解剖しているのを知っていた。給食に洗剤を入れた事件もあった。両親は娘に”あのこと”を少しでも考えさせないために、勉強・スポーツ・ピアノその他の習い事、、でますます娘の時間と体を支配した。鎖がもっと太く重いのに替わっただけだった。

 

母親は心でも娘とつながっていた。母親は娘の”あれ”を深いところまで理解し娘も信頼感を持っていた。母に対するコンプレックスな感情が”僕”にあらわれている。”僕とママ”の愛がモチベーションを支えていた。それ以前に娘にとって地元の最高エリートであるママを尊敬し憧れる以外の選択肢はなかった。自信満々の母に支配”させ”ておくのは楽だったし鎖を鎖と感じないこともできた。

 

しかし鎖はやはり虐待だったのだ。心の深いところで彼女の中の”幼児”は無理矢理に大人へと向かって成長させられることに怯え、抵抗していた。幼児期の心の中で手探りに触れたものを握りしめ離さないまま成長したのだろう。たまたま握りしめたのが”あれ”だった。

 

母親の死とともに”僕”はアイデンティティとモチベーションを見失い未来をなくして死んだ。再婚する父親と断絶すると与えられたマンションの一室で時間の止まった孤児として暮らしはじめた。

 

彼女は自分の中の”あれ”と独りで向き合わねばならなかった。次々に目標を与えてくれる母親はもういなかったし、自分でそれを作る能力は育っていなかった。数週間で”あれ”はどんどん育ち彼女を食い尽くした。次にマンションの一室で発見されたのは巨大な本能の欲求に従うだけの幼児だった。ただしこの幼児は知能と体力を持っていたが。

 

(殺害衝動は人間の本能に含まれると考える。)